いのちについて改めて問い直せた一日でした。住職の基調講演会に出席したんですが、その方は幼いお子さんを事故でなくされた過去から話し始めたんです。あ、そういう過去があったんだと思い、そこからはずーと住職の話に吸い込まれていきましたね。
僕自身、いわゆる死を強く意識したときがありました。病気ではなく、会社をリストラされたときなんです。ブログでも書いたと記憶しています。目の前に迫ってきたんですよね。ものすごく恐怖、不安を感じました。そりゃ、誰でもそうでしょう。住職は亡くなったいのちを抱きながらも、自分のいのちを捧げて生きていこうとされたのではないかなと思うのです。そのひとつとして、事故を防ぐ活動に取り組まれて来られました。
今、こうしてブログを書いている自分も同じなんです。自分にはいのちがあり、いのちある限り、できることがあんじゃないかと強く思いましたもん、自分の死を意識できるってことは、生きている証拠。背負っているものが違うからこそ住職の言葉がいちいち胸に沁みました。
今日も僕のブログにお越しくださりありがとうございます。さも社会のすべてを知ったような錯覚を持っていましたが、まだまだだなあ。そう思いました。